薬にまつわるエトセトラ 公開日:2026.08.06 薬にまつわるエトセトラ

薬剤師のエナジーチャージ薬読サイエンスライター佐藤健太郎の薬にまつわるエトセトラ

学べば学ぶほど、奥が深い薬の世界。もと製薬企業研究員のサイエンスライター・佐藤健太郎氏が、そんな「薬」についてのあらゆる雑学を綴るコラムです。

第142回

スポーツと痛み止め~サッカー選手がNSAIDsを服用するリスクとは?

FIFAワールドカップ2026(サッカー・ワールドカップ:W杯)は、スペインの優勝で幕を閉じました。夜ふかし、あるいは早起きをして、夢中になって観戦した方も多いのではと思います。
 
筆者は普段あまり海外サッカーを見ないので、選手のコンタクトの激しさに少々驚きました。ファウルも辞さず、かなりのラフプレーを仕掛ける選手も多く、世界で戦うのは本当に大変なことと、改めて思わされた次第です。
 
当然、サッカー選手にけがはつきものです。選手たちは90分間ほぼずっと走り続け、急停止や急旋回、ジャンプや相手との接触を繰り返します。このため、筋肉や靭帯(じんたい)への負荷が大きく、捻挫や肉離れなどの重いけがが多く発生します。選手同士の衝突による重度の打撲や脳震とうなども少なくありません。
 
Jリーグを対象とした調査によれば、復帰まで1週間以上かかる外傷は1試合あたり0.65~0.86件ほど発生するといいます。J1リーグは年間38試合ありますし、カップ戦や非公式戦、練習もありますから、確率的には年に一度くらいはかなり重いけがをしてもおかしくない計算です。
 
参考:日本におけるスポーツ外傷サーベイランスシステムの構築(第1報第2報第3報)|日本スポーツ協会(旧日本体育協会)
 
というわけで、サッカー選手はほぼ全員が、大なり小なりの負傷を抱えながらプレーしています。結果、彼らにとって痛み止めは手放せないものになっています。

 

常態化する鎮痛剤摂取

2015年に医学誌British Journal of Sports Medicineに掲載された論文によれば、02~14年のワールドカップに出場した選手のうち、69%が何らかの薬物を使用しており、うち半数以上が、イブプロフェンやジクロフェナクなどの非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)であったということです。
 
U20(20歳以下)及びU17(17歳以下)の大会においても、薬物を使用している選手は全体の60%、NSAIDsを使用している選手が43%であったということで、若い世代からすでに消炎鎮痛剤の使用が始まっていることが伺えます。
 
参考:High prevalence of medication use in professional football tournaments including the World Cups between 2002 and 2014: a narrative review with a focus on NSAIDs|British Journal of Sports Medicine
 
これらNSAIDsには当然副作用もあります。有名なのは胃潰瘍など消化管へのダメージで、サッカー選手の場合はここに激しい運動と脱水などの条件が重なります。このため、消化管出血などのリスクが高まることが知られており、予防的NSAIDsの使用は勧められないとされています。
 
また、脱水状態でNSAIDsを服用すると、腎臓の血流が低下し、急性腎障害を引き起こすリスクがあります。夏場の長時間の試合などでは、特に心配されるところです。
 
参考:NSAIDs貼付薬による腎障害の機序と脱水を起こしやすい時期の注意点や併用薬について|日本医事新報社
 
もっと深刻なケースもあります。元イングランド代表のゴールキーパーであったクリス・カークランド氏は、鎮痛剤への依存症に苦しんでいることを告白しています。腰のけがに悩んでいた彼は、鎮痛剤トラマドールを服用し始めましたが、徐々に使用量が増えていき、気づけば目安の10倍もの量を飲むようになっていました。
 
彼の場合、腰のけがで3試合欠場したら契約解除という条項が盛り込まれており、このため強い痛み止めを用いざるを得なかったといいます。彼らの置かれた厳しい立場が伝わってくる話です。
 
参考:Chris Kirkland: ‘I didn’t know who I was, couldn’t remember where home was’|The Guardian
 
同じく元フランス代表のパトリス・エヴラ氏も、1日38錠の鎮痛剤を服用していたことを、引退後に告白しました。「プロとして700試合ほど出場したが、100%健康な状態だったのは5試合程度だ」と彼は述懐しています。
 
彼らが服用していたトラマドールは、その危険性から現在では禁止薬物に指定されています。弱オピオイドに分類される薬剤で、依存性も少なからずありますから、禁止も無理はないと思えます。
 
参考:Patrice Evra’s painkiller hell – Man Utd legend reveals staggering state of problem as he took 38 pills per DAY|Goal.com

 

「消炎」すべきか

鎮痛剤を服用しながらフィールドに立ち続けるのは、プロとしてある程度やむを得ないことかもしれません。しかし、痛みは体からの危険信号でもあります。軽いけがの痛みを薬でごまかしながらプレーを続けていれば、より大きなけがにつながることもあり得ます。
 
また、炎症反応を抑えることも良し悪しがあります。炎症は組織修復過程の一部であり、何でもNSAIDsで抑えればよいというものではないという考え方が、スポーツ医学の世界では広まりつつあります。過度なアイシングで炎症を抑えるのも、回復には逆効果という研究もなされています。
 
参考:「アイシング」は体の回復に逆効果という研究も スポーツ医学の最新事情|AERA DIGITAL
 
また、前述のようにU17など若い世代でも、鎮痛剤の使用が常態化している現実もあります。まだ体が完成していない子どもたちが、痛みを抑えて無理に出場を続けることが、将来のためにならないのは明白でしょう。
 
プロの選手でも、ある程度メンバーをローテーションさせるなどして無理な出場を減らし、鎮痛薬に頼らない体制を作るのが理想ではあります。とはいえ、W杯をはじめとした一発勝負のトーナメント戦では、そうそう主力を休ませるわけにもいきません。また、さまざまな大会を勝ち抜くほど試合数は増え、スター選手の負担は大きくなります。
 
もちろんこうした状況について、改善の提案はなされていますが、自分たちの大会を縮小・削減したい主催者がいるはずもなく、議論は進んでいません。薬の適正使用は、薬の必要を減らす環境づくりから――と分かっていても、なかなかうまく行かないのが現状のようです。

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佐藤 健太郎(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。

佐藤 健太郎
(さとう けんたろう)

1970年生まれ。1995年に東京工業大学大学院(修士)を卒業後、国内製薬企業にて創薬研究に従事。2008年よりサイエンスライターに転身。2009年より12年まで、東京大学理学系研究科化学専攻にて、広報担当特任助教を務める。『世界史を変えた薬』『医薬品クライシス』『炭素文明論』など著書多数。2010年科学ジャーナリスト賞、2011年化学コミュニケーション賞(個人)。ブログ:有機化学美術館・分館

 

ベストセラー『炭素文明論』に続く、文明に革命を起こした新素材の物語。新刊『世界史を変えた新素材』(新潮社)が発売中。